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地域に伝わる民話シリーズ<6>

御茶当(ウチャトー)と煙草の始まり
兼城 太勇(明治45年4月15日生) 照間

 昔むかし、上与那原(イーユナバル)には上与那原子(イーユナバルシー)という人がいて、下与那原(シチャユナバル)には下与那原子(シチャユナバルシー)という人がいた。二人は闘牛場にいっしょに行ったり、いつもどこに何かあるからいっしょに行こうといって、ひじょうに仲がよかったそうです。
 ある日、二人はイザイに出たが、海に行ったら、まだ潮が引いたなかった。少しはやいもんだから、浜辺で話をしているときに、上与那原子が下与那原子に言った。
「私たち二人はこんなに仲がいいから、あなたに男の子ができても女の子ができても、私に男の子ができても女の子ができてもいいから、互の子どもたちを結婚させよう」と。
そしたら、下与那原子は、
「私たちはこんなに仲がいいが、もしもその結婚がうまくいっても、そのあとに破産したら、私たちの友情も破産するんじゃないか」
「いや、別に破産することはないさ」と、
二人でそんな話をしていたって。
 それから、二人は、ねむけがさして寝てしまた。そしたら、下与那原子は、遠い山から火の玉が来る夢をみた。その火の玉が、下与那原子の上に来たらなくなったって。下与那原子は、「これはおかしいなぁ、火の玉が来たんだが」といって目を覚ましてしまった。
海を見たら潮が引いていて、イザイをするのにちょうどよかったから、イザイをして帰っていったって。また、上与那原子は、
「下与那原子には女の子が生まれて、上与那原子には男の子が生まれる。下与那原子の女の子は、米の倉を建てて、生涯裕福に暮らせるチヂスー(先祖と同じような運命)を受けて生まれるが、上与那原子の男の子は、ミーバーラー(目の粗いカゴ)を作って生活しなさいというチヂスーである」
という夢をみた。上与那原子は、「これは悪い夢をみたなぁ」といって、一言も話さなかったそうだ。
 それから数年後、上与那原子、下与那原子二人の妻が妊娠した。上与那原子には男の子、
下与那原子には女の子が生まれたって。
 それから年数もたって、子どもたちが十七、八になったときに、以前の約束あったので、
上与那原子と下与那原子の子どもたちは結婚することになった。二人が結婚したら、その家はたいへん金持ちになった。
 それから何十年後、ますます金持ちになったその家では、日雇い人夫も四、五人使うほどにまでなった。ある日、夫が妻に言った。
「今日の使用人たちには、新米(ミーメー)を炊いて食べさせなさいよ」と。妻は、
「はい」
と答えた。それから、夫は二、三日用事があるといって、出かけた行った。夫が出かけてあとで、妻は不安になった。
「自分たちの米倉には、米はたくさんあるけど、この米は去年刈り取った米だから、これを炊いて新米とはいえない。これはどうしたらいいかねぇ」
とたいへん心配したそうです。
 心配した妻が、自分の家の田んぼを回ってみたら、稲の穂がまだ青くして先だけうれていた。妻は、自分で刈り取ろうと思ったんだけれど、どうしても刈り取ることができな。それで、使用人たちを連れていって刈らせて、新米を炊いてあげたそうです。
 それから夫が帰ってきて、「私たちの稲はどれぐらい実ったかなぁ」といって、田んぼを回ってみたら、稲が刈り取らてている。「あぁ、これは泥棒にあったんだなぁ」と思って、家にかえってきてみれば、庭に刈り取った稲があった。
「だれがこの稲を刈りなさいと言ったか」
と聞いたら、妻は、
「あなたが言いました」と。
「私は稲を刈りなさいと行ったのか」
「そうではないんですけど、あなたが、『 今日の使用人たちには新米を炊いて食べさせなさいよ 』と言いました。でも、米倉にある米は去年のこめで、それを炊いてあげても新米にはなりません。それで私は、自分たちの田んぼに使用人たちを連れていって、稲を刈り取らせて、新米を炊いてあげました」
と言ったら、夫は、
「このぐらいのこともわからん女が、私の家で勤まるか。おまえは離縁だ」
と言ったそうです。それから、その家はたいへん金持ちだったので、
「おまえには、小判九斤分けてやるから」
と言われて、妻はなくなく離縁されて、家を出ていった。
家を出された女は、小判九斤を持ってヤンバルに下っていった。
「だれが一番、私の夫としてふさわしいのかねぇ」
と思って、あちらこちらヤンバル中回てみたら、あるところに炭焼きのおじいさんがいたそうです。女は、この人は確かに私の夫になる人だと思って、自分から、
「私を嫁にしてください」
と言ったら、おじいさんは、
「冗談をいいなさるな、あなたのような方が私みたいな炭焼きの妻になるのか」
「はい、なります。生涯食べていけるだけの宝物を持っておりますから、ぜひ私をあなたの妻にしてください」
女がそう言うので、おじいさんは、
「あなたは何を持っているのか」
と聞いた、女が小判を持っているというので、おじいさんは、
「私は小判というのは、話には聞いたことがあるが、見たことがないから見せてくれんか」
と言った。女がさしだした小判を見て、おじいさんはびっくりして言った。
「あなたは冗談が好きだねぇ。これはクルマーイサー(黒石)じゃないか」と。女は、
「この炭焼きのおじいさんは、とても徳のある人だと思うんだけど、違うのかねぇ。この人にはあまり徳はないのかねぇ」
と思ったけど、まずはということで、おじいさんに言ってみた。
「私にあなたの炭焼き小屋を見せてくれませんか」と
「どうぞ見てください」
と言ったので、行ってみたら、その炭焼き場は半分ぐらい小判で造られていた。
女は、この人は確かに徳のある人だといって、おじいさんと結婚して、炭焼き小屋から小判と石とをより分けて、ひじょうに金持ちになったそうですよ。
 それから二十年ほどたち、女を追い出した元の夫である男はたいへん貧乏になっていた。
男は、毎日ミーバーラーを作って、それを売り歩いて生活していた。ある日、男は、女の家にもミーバーラーを売りにきた。そしたら、女の方では、これは私の元の夫であるとわかるんだけれども、男にはわからない。女は召使に、
「いつの日に、」いくつのミーバーラーが必要ですから、注文しなさい」
と言いつけた。
男が喜んで注文の品を持ってきたら、女は男を一番座敷に案内した。そして、男に言った。
「あなたは私がわかりますか」
「わからん」
「よく見てください」
だけど、男はいくら見てもわからないと答えた。そしたら、女には、昔から眉と眉との間にあざがあったので、
「これを見てください」
と言った。そのとき、男は、はっとして、自分が追い出した妻だと気づいた。男はそのまま庭に出て、舌を噛み切って死んだそうです。おんなは、
「どうしよう。でも、今の夫にこのことが知れたら悪いから」
といって、男を庭に埋めたそうです。
それからあと、女は、毎日、朝のお茶を、男を埋めたところに湯のみの一杯ずつかけた。おかしいなぁと思った今の夫であるおじさんが、いろいろ聞くけど、どうしても女は言わない。
「なぜ、あなたはこんなことをするのか」と聞いても、
「いえ、私は茶碗をゆすいでるんですよ。なんでもありませんよ」
と答えるだけだった。そのようにして、女がお茶をかけたのが沖縄のウチャトーの始まりです。
 そうしているうちに、その男を埋めたところから一本の木が生えてきた。女がその葉をちぎって口に入れたら、心が落ち着いた。それで、これは自分の慰めになるといって飲んだのが煙草の始まりです。
それでも、おじいさんは、女に、
「あなたが毎日、庭でそんことをしているので、私も夢見てしまって、どうしても寝つけないから、わけを話してくれんか」
と言ったので、とうとう女は元の夫のことをおじいさんに告げた。
「じつは、私はあなたと結婚する前にこういう人がいたんだけれども、こんなわけで、
離縁されました。あなたと結婚する前に小判九斤を持ってきたのは、その人からもらったものです」
と言った。わけを聞いたおじいさんは、
「しかし、屋敷内に人を葬るということはできないから、どうしてもこれは外にださなきゃいけない」
と言って、墓を造って葬った。それから、その家はますます栄えたそうです。また、屋敷内に人を葬らずに外に出すというのは、それからだそうです。


(昭和61年11月25日聴取)
「よなぐすくの民話」与那城村教育委員会 発行より


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